お花見その3 瀬田川ぐるりさんぽ道
3月31日、瀬田川ぐるりさんぽ道、南郷洗堰から唐橋までぐるり一周8.2㎞を桜を楽しみながら歩きました。このコースは毎年桜の季節には必ず歩きます。タイミングが悪く満開の時期に合わせてぴったり歩けなく、今回も散り始めている状況です。しかし桜は花びらを散らさないよう、がんばってくれていてまだまだ十分楽しめます。
今回はまず、瀬田川洗堰を渡って対岸より唐橋に向かいます。その前に少しこの洗堰の歴史について書いてみたいと思います。現代の瀬田川洗堰(せたがわあらいぜき)は、可動堰で水位調節のために一部または 全部 を動かすことができる ものですべて機械化してされてます。明治に作られた旧洗堰は南郷洗堰と呼ばれて人力によって開閉されていました。この旧洗堰ができるまで湖岸の住民は数百年浸水に対して解決策として瀬田川の浚渫(しゅんせつ)といって河川の底面を浚(さら)って土砂などを取り去る土木工事を要望してきたが,疎通が良くなると洪水が来やすくなる下流淀川流域の住民が反対していたこともあって,江戸時代にはある程度規模の大きな浚渫は数回しか認められなかった。明治になっても当然浚渫を強く要望したが,上下流の対立がとけず,本格的な改修は困難でした。しかし,1893年になってようやく淀川と瀬田川の改修を上下流一体となって運動しようという気運が盛り上がり,1896年の河川法制定,淀川改良工事実施に結実しました。南郷洗堰(旧洗堰)の築造は周辺の中井弘知事が堰の必要性を説き、明治38年にようやく完成しました。 堰はレンガ造りで、開閉は人力だったが当時としては画期的でした。倉庫で操作用車に松の角材を積み,所用の箇所に運搬して1本ずつ下ろし,引き上げは逆の手順で実施したため,全閉に丸2日,全開に丸1日かかるという大変な作業でした。建設当時,南郷洗堰は画期的な構造物であると高く評価され,以後約60年間,琵琶湖沿岸および下流大阪の水害防禦に大きな役割を果たしました。その後,1961年3月,これに代わる現代の瀬田川洗堰が下流にできました。琵琶湖に流入する河川は一級河川で約120本ありますが、琵琶湖から流出する河川はこの瀬田川だけです。それゆえ、この洗堰は湖岸に住んでいる人のみならず、下流の人々の命を守る大切な建造物なのです。
私もこのようなことを知ったのは以前、洗堰を中心とした水辺の活用方法についてのシンポジュームに参加した際、勉強させていただいたからです。旧洗堰の施設を見学し実際に松の角材をみたり、その当時の作業のたいへんさを知り、人々が治水について長い歴史の中で戦い続けてきたことがわかりました。
洗堰を渡ってすぐ、水のめぐみ館アクア琵琶があります。この施設内を通過すると川べりに出ます。水のめぐみ館「アクア琵琶」は、国土交通省琵琶湖河川事務所が運営する琵琶湖の治水や利水、水環境などについて学べる施設です。入館料は無料です。
河ベりを歩くとしばらくすると右手の方に大日山が見えてきます。奈良時代の僧・行基は、琵琶湖の洪水を防ぐには瀬田川を開削して湖水の流れを良くするしかないと考え、川中に飛び出た大日山を切り取ろうとしました。しかし、それによって下流に氾濫が起こることを恐れ、工事を断念しました。行基は山を削ることをいさめるためにここに大日如来を祀り、山に手をつけると祟りが起こるとの言い伝えを残しています。
この川べりを歩くとかならずオオバンという水鳥がたくさん泳いでいます。カイツブリは数を数えるほどしか見かけせん。桜や水面や対岸の景色を眺めながらの、ゆっくりの歩きです。
さて、瀬田唐橋の手前に神代桜という建部神社由来の桜があります。建部神社の御祭神であるヤマトタケルノミコトが東征の折、自ら実相寺(山梨県)にお手植えされたと言われる桜です。ここの場所に植えるにあたって、私の知人のT氏がご尽力されたのを覚えています。ここを去年訪ねた時もかなり散っていてきれいな桜にあうことができなかったし、今年もまた間に合うことができませんでした。しかし2019年の2年前の神代桜は満開だったのでその時の写真もアップしておきます。
瀬田の唐橋を渡る時、いつも思うのですが、なぜ橋の色が朱色でなくてこの色なんだろうかと。この色に決まった過程はほんとに馬鹿らしくて、大津市民の思いなんか少しも反映されなくて、怒りさえ感じます。私が住んでいる側にあると石山寺と川向こうの建部神社は普段からあまり仲が良くないというより、とても悪いんではないかと推測できます。この色に決まったいきさつは、建部神社は別段どの色でもよかったらしいのですが、石山寺が先に橋の色は朱色と主張、それを聞いた建部神社は石山寺の言う通りにすれば威厳が保たれないので、今の色を主張したようで、大津市自体は色の決定権がないらしく、この色になったと聞いています。ほんとうに情けない選択の結果です。しかし報道によると次のように橋の色が決まったということです。滋賀県の瀬田唐橋景観検討委員会(委員長・西川幸治京都大学名誉教授)は唐橋の塗り替え色は「唐茶色を基調とする」という提言をまとめた。現在のクリーム色系統の「木造色」と茶系統の「木肌色」の中間色から、木造をイメージして選んだ。瀬田川にかかる瀬田唐橋は古くから交通の要衝として知られ、現在は主要地方道・大津能登川長浜線にかかるコンクリート橋。高欄にサビが浮き出るなど劣化してきたため、県は2009年に従来の木造色で塗り替えを計画したところ、地元の瀬田川流域観光協会が歴史的な朱色への変更を要望。安全面から他の色を求める意見も出たため、県は学識経験者ら11人で検討委をつくり、10年6月から検討してきた。だとすると、この学識経験者たちの意見で市民の意見ではないし、私から言わせるとな何とセンスのない方々の集まりなのだろうかと。それとも何かの忖度が働いたのか。観光客の人もこの橋の色を見たら、これがかの有名な唐橋なのかと疑問をもたれるのではと思います。それにもう一つ先ほどの新聞記事に安全面から他の色に変更とありますが、赤系の色を人がみると、感情が制御しにくくなり、事故が発生するという観点らしい。なんと苦しい言い訳なんだろうか。瀬田の唐橋は更級日記にも出てくるほど、歴史がある橋なのに、先人達の目にはどのように写っているのだろうか。
瀬田の唐橋を渡り、いよいよ折り返して石山寺を遠くに通過します。
後3㎞ほどで一周することになります。最後に南郷公園の桜も楽しんで、瀬田川ぐるりさんぽ道を満喫しました。今回はお花見というより、瀬田川ぐるりさんぽ道にあるいろいろを紹介した内容になりましたが、楽しんでいただけましたでしょうか。瀬田川を歩く時はいつもひとり、あれこれ考えるといいアイデアが浮かんだりマイペースの歩きが一番。自然の中で頭を活性化して、次の面白いを見つけ楽しみがら人生を過ごしたいと思います。
それでは、又お花見その4https://myroom-anmasako.com/でお会いしましょう。