私目線で発信

女性にぜひ読んで欲しいブログⅥ

2021/02/20
 
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このブログの他に「anmasako わたし流ファッション」「anmasako わたしの介護忘備録」を書いています。 暮らしの中で、料理、ファッション、自然等さまざまな話題を幅広く主婦である私目線で発信します。お役立ち情報満載です。


二回目の入院の8月25日を迎えた。先月入院した経験があり心の準備もでき、4Fの東病棟の様子も以前のたった2日間の入院だったのに慣れ親しんだように思えるのがふしぎなくらいだ。今回は四人部屋が二人部屋より、なぜかうれしかった。窓側でなかったが、別段気になるわけでもなく、入院生活を私なりに意味のあるものにしようと前向きに考えることができた。ネームバンドを手首に付けて体温、脈拍、血圧を測定等前回の入院と同じで、薬剤師さんが訪室し、現在使用している薬の確認があり、手術のための血液検査の採血がある。私は血管が見えにくく採血や点滴の際、看護師さん泣かせの患者でした。
本日の昼食は焼きそば、献立はなかなかのバリエーションがあるが、残念ながら美味しいと思うのもはごくわずかしかない。その中でも昼食に昔懐かしい衛生ボーロが出て思わずにっこりさせてくれたり、朝食に大山牛乳が出て去年の夏の大山登山を思い出し、これは絶対半分以上は飲むぞという気にさせてくれたり、病院食はなかなか心憎いチョイスをしてくれた。

さて、午後2時頃シャワーをし、午後3時頃、あまり医師には見えない麻酔科のU医師に会い、麻酔の説明を受け同意書にサインをした。硬膜外麻酔はユーチューブで何回も見たのでだいたい分かりますというと、ユーチューブに自分も動画を投稿しようなんて言うちょっと変わった人だ。何かわからない点はと聞かれ、血圧が高いので麻酔に影響はと聞いたら、そんな人たくさんいるし、みんな無事手術を終え、覚醒しているので大丈夫だと、いつまでも覚醒しなかったら、たくさんの患者に対応できないので困ると返事が返ってきた。
主治医のS医師は手術が長引き、会うことができたのは5時過ぎになり、それから手術の説明と同意書にサインをした。その後夕食これを最後に飲食はできなくなる。
入院して一日目にやることで一番たいへんなことは、下剤を処方されて、排便をして腸内に糞便が残らないようにすることで、これがなかなたいへんで夜寝る時間がないくらいトイレに行かなくてはならない。こうして一日目が過ぎ、明日9時からいよいよ手術だ。
朝起きて、手術着に着かえ、弾性ストッキング着用する。それから手術室に入り手術台に横になるまでは前回の手術と同じである。それからあのU麻酔科医師が登場、この時も手術着でなく、白衣の下にちょっと色合いは地味ではあるけれど、おしゃれなTシャツを着て、私の最初に会った印象通りの人だった。でもここからが一味ちがう。手術前に麻酔をするため点滴の針の痛みが軽減される絆創膏の大きいものを看護師さんに貼ってもらった。麻酔科の新人医師だったようで、私の血管に針がなかなか入らない様子、その時例のU医師が替わって針の痛みの軽減される注射をし続いて麻酔をするための点滴をの針を入れる処置をし、そのすばやいことにびっくりした。このU医師はなかなかやるなあ、仕事がたぶんできる人にちがいないと思った。それから硬膜外麻酔の処置がされて、その後、麻酔薬が投入され記憶がなくなった。
たぶん4時間ぐらい経過していたのだろう。気づいた時は手術室を出て、S医師から「手術前の判断とは違っていて、卵巣が子宮の上にのっていて、その卵巣ががんでした。手術は今後ないです。」と聞いたのはしっかり覚えている。ただその時はそうなんだというだけで、手術の直後であったからそれ以上何も考えることができなかった。たぶん手術が無事終了した安堵の状態だった。酸素マスクは手術室出てすぐにはずしてもらったように記憶している。
その後、回復室にいたのだろうか、看護師さんに入れ替わり立ち代わり、手術後のお世話をしてもらった。看護師さんがかわるたび、むかつきも痛みもない私は看護師さんといろいろ話をしていた。今思えば何を話していたか思い出せない。手術からどれくらい時間がたったのかもさえ、あまり理解できていなかった。
尿は、膀胱内に管が手術の際麻酔が効いてから入れられたものので、その管を通って外の袋の中に溜まるようになっているので問題はない。
特にこの時印象に残ったことがある。熱があるようなので、その時水と氷の入った茶色の昔ながらの水まくらをしてもらった。「今どき、こんな水まくら使っているのはここの病院くらいなのでは」と看護師さんは言っておられたが、私にとってはひんやりとした水と氷のやさしい感触にたいへん心が温まったことを覚えてる。

いつ病室に戻ったのかもよく覚えていない。手術二日後には、ちょっとふらふらするけれど、トイレに行っていたので、その時は尿の管は体からはずしてもらっていたはずだ。次の日には硬膜外麻酔の管も取ってもらったように思う。ところがむかつきにより、食事がほとんど摂ることができない。食事の半量食べられるまで、点滴ははずせない。S医師からは無理しなくていいと言ってもらい、その言葉通り無理して食べることはしなかった。ところが、3日経った頃、食事をするとお腹の左側がすごく痛いので、病室に来られたS医師に訴えたら、CT検査を受けることになり、結果その部分に水が溜まっていて、それを抜く処置をしてもらった。その時、はじめてお会いしたR医師とS医師と二人に処置してもらい、その後お腹左側の痛みはなくなった。
次はお腹の真ん中、おへそ上がぎゅうと痛いので、痛み止めをもらっているので、それを服用したら痛みは和らいだ。その頃、大建中湯という漢方薬を服用していたが、その後もこのお腹の痛みに悩まされた。しかし、この大建中湯を服用すると毎日便秘にもならず下痢にもならず快調で、私のお気に入りのお薬になった。
週末を迎える頃(手術後4日後)から、ようやくむかつきが収まり、食事の半量は食べることができるようなり、点滴は終了した。もうその頃になると、傷のガーゼもはずし、シャワーもできるようになっていた。ただし、抗生剤の点滴は退院直前まで続いた。
その間、何度かS医師が病室に来られ、私が寝ている時もあり、あまり話もせず病室を出て行かれることもあった。ある日来られた時「Mさんはとってもラッキーでした。」と言われた。確かに早期に卵巣がんが見つかったからという意味でラッキーなんだとそう思っていた。しかしほんとうはそうではなく、卵巣がんは早期で発見されることが稀ながんだったのだ。このことをまだ知らなかった私はS医師の言ったほんとうのラッキーという意味を知らなかった。私が卵巣がん?そう卵巣がん!であることことさえ信じられない。退院後、卵巣がんについて調べるうちに、このがんについて様々なことを知り、今、自分が置かれている立場がどんなにかラッキーなものであるかということを改めて感じた。と同時にS医師の存在の大きさを知った。
8月31日、4Fの東病棟にある診察室にて、内診があり、S医師から「血液検査も良好ということで、予定通り退院は9月2日にしましょう」と告げられた。看護師さんに「診察が終わったら先生からお話があるので、診察室の外で待っておられますので」と声をかけてもらった。診察室の外の長いすにS医師は座っておられて、私はすぐそばに座った。S医師は手に今回の手術の部位を描いた紙を持っておられて、絵がへたくそなのでと言いながらもその絵を私に渡たされた。実は病棟のW看護師さんに私がS医師に教えてほしいことがあるので、その内容をW看護師さんから伝えてもらうようお願いしていた。私がS医師はお願いしたことは手術の部位を絵に描いてほしいというもので、この絵をみて絵がどうこうではなく、患者のつまらないお願いをこうしてきいていただけることが、私にはとってもうれしかった。それには丁寧に手術の部位とその名称が書かれていた。この絵には子宮の中の筋腫も4個描かれていて、大きさは4~5㎝くらいで、手術時の子宮や卵巣の様子がよくわかる。これは手術をした記念になりそうなので、S医師に名前と日付まで書いてとお願いした。それから人の「内蔵って触ったらどんな感じ?」と尋ねたら、「ホルモンを触った感触みたいなもの」だと。私はホルモン食べないのでわからないけど、触った感触は想像がつく。考えてみたら人間も動物だし納得できる。他にもいろいろ話したS医師のその日の印象はとってもいいお人柄で、私の主治医でほんとうによかったと思った。

退院の前日に「今日は午前の診察が早く終わったので」ということで病室に研修生と一緒に寄っていただき、その時「明日、退院の日は会えますか?」とお聞きしたら、「朝、寄れると思う。」と。退院の日は結局S医師には会えず、同室のFさんにエレベータまで送ってもらい、日赤を後にした。前日の夕方ナースステーションの前でS医師にばったり会った時、「これから日直、何もなかったらいいんだけど」と聞いていたので、たぶん忙しくて寄ってもらえず、会うことができなかったのだと思う。しかし、S医師にお礼の言葉も言えずに退院したのは、大切な何かを置き忘れたような感覚でした。
一週間の入院生活を振り返ってみると、多くの人に支えられていたからこそ、手術をしたにもかかわらず、快適に過ごすことができ、早く退院したいという思いはまったく湧いてこなかった。私は入院生活にすっかり慣れ、楽しんでいたところさえあった。支えていただいた方々にはほんとうに感謝の言葉しかない。4人部屋での入院生活はカーテン越しに様々な人間模様を想像できてなかなか楽しくて退屈しない。実際お会いして話してみると、私の想像通りいい方ばかりだった。
さて退院後、やっと私は卵巣がんとしっかりと向き合い、いろんな意味でいい勉強ができた。日々自分の体調と向き合い、焦らず、ゆっくりこのブログのSo Like MEにならって私らしく生きていきたいと思う。
次回「女性にぜひ読んでほしいブログ」の最終回となる。退院後の日常と私の今回の経験から学んだ女性特有のがんについて発信したいと思う。
次回最終回「女性にぜひ読んで欲しいブログⅦ」https://myroom-anmasako.com/に続く‥‥‥

一口メモ
弾性ストッキングとは
深部静脈血栓予防に着用します。深部静脈血栓は、受傷や手術操作による血流の停滞・血管内損傷・凝固機能亢進などで下肢の手術後に頻度の高い合併症です。腰椎麻酔・全身麻酔・検査時の深部静脈血栓予防の為に着用します。
硬膜外麻酔とは背中に管( くだ)を挿入して脊髄の近くの硬膜の周囲に麻酔薬を注入し、痛みを感じない ようにさせる方法です。手術の場合は、全身麻酔と併用することが多くあります 。
大建中湯とは特に消化器系が弱く、腹部が軟弱無力で、膨満感があったり食欲不振だったり、あるいは食べても太れないといった消化・吸収力のない、極めて虚弱な体質を改善していくのに効果があります。また、腹部の手術後の体力低下などで体に強烈な冷えがあり、それによって起こる腹部の痛みを取る場合にも使用されます。

 

 

 

 

 

 

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