お花見その2 3月27日哲学の道散策
3月27日、昨日に続き、桜に背中を押されお花見に出かけました。今回は哲学の道を歩くことにしましたが、交通機関を使うとなると、土曜日ということもあり、混雑や、こと京都市バスにあっては満員と遅延を覚悟しなくてはいけないので、車で出かけました。哲学の道の疎水は、昨日歩いた琵琶湖疎水の蹴上の分流であり、明治時代に建造された琵琶湖疎水がなければ、この水面も哲学の道も存在していなかったかもしれない。近辺はなじみのある所で京都トレイルで立ち寄った銀閣寺や紅葉のライトアップに訪れた永観堂、長い長い列に並んだで待ったことなど、たくさんの記憶がよみがえります。
哲学の道という名称は「哲学」に関係がある道だろうというイメージがあります。その昔、京都の哲学者である「西田幾太郎」を始め、その弟子「田辺元」「三木清」らが思索にふけりながら歩んだことから、その名前で呼ばれるようになったといわれています。もっとも、この名前が正式な名称となったのは1972年と比較的最近です。
歩いていると、猫ちゃんの写真を撮っている人を何人か見かけました。なぜこんなところに何匹かの自由奔放の姿の猫ちゃんがいるのだろうと思っていました。これは廃業となった喫茶店に猫たちが住み着いたそうで、今では哲学の道の名風景ともなっているということです。猫ちゃん大好きの方はお花見がてら、猫ちゃんに会いにいかれてはいかがでしょうか。
哲学の道は歩いておられる方は老若男女問わず、特にご年配ご夫婦の方なども多くて、インクラインのあの若者の独特のさがわしい雰囲気はなく、さすが哲学の道にふさわしく、みんな静かに散策しておられるのが印象的でした。人も土曜日にしては多いようには感じませんでした。
きれいな水鳥3羽が疎水でのんびり泳いでいました。単調な水面も動きがあり、見ているだけでも心が和みます。
折り返し地点も過ぎ、少し小腹もすいたので何か美味しいものがないのかと探していたら、ふみやのおぜんざいが目に留りました。ここは御米司ふみやという屋号で、御米司とは日本の原風景が残る京北で、今年獲れた新米を、汲みたての大文字山の伏流水で炊き上げているということで、おにぎりがたいへん有名です。けれど、やっぱり今食べたいのはぜんざいなので、ぜんざいを注文しました。お店は各テーブルに消毒液が置かれ、アクリル板のパーティションもきちんと設置されていて、感染対策は完璧で、安心して飲食ができました。
哲学の道の桜も漫喫でき、花より団子の気持ちも満足させてもらったし、のんびりとした時間を過ごせたことに感謝です。桜が散る頃になると、散っていく花びらにいつも「ありがとう」と心で声を掛けます。そして「来年も楽しみにしているので」とお別れをします。桜の季節は日本人には欠かせない心の拠り所でもあります。今年も桜の季節を大切に過ごしていきたいと思っています。
また、お花見その3https://myroom-anmasako.com/でお会いできればとてもうれしいです。それではごきげんよう。